吉田新田が埋め立てられた頃、現在の中華街の海側辺りから弁天橋の手前(本町4丁目、県立歴史博物館辺り)まで、洲干島(しゅうかんじま)という砂洲(砂嘴)が伸びていたそうです。丁度江戸湾(東京湾)と、後に埋め立てられる内側の入り江とを、隔てるような格好だったといいます。この砂洲と根元の地域を元々「横浜村」といい、ペリー一行が上陸したことで、世界的にその名を知られることになるわけです。
およそ700年ほど前から、その洲干島の先端に、風光明媚な弁天様のお社があったそうです。最盛期には境内の水路に太鼓橋がかかかり、鳥居も一の鳥居から三の鳥居くらいまであったようです。松がたくさん植えられていたといいますから、その緑と海や空の青に赤い鳥居が映え、それはいい景観だったことでしょう。その頃の様子はこちらに詳しく載っています。
明治二年になると、港に近かったこの地も整備されることになり、弁天様には他へ移っていただくことになったのだそうです。で、どちらへ行かれたかといえば、なんと、今では「元」洲干弁天を名乗る弁天様が、市内中区に二社あるんですね。
一つは元町にある元町厳島神社です。元町五丁目に鎮座します。

この神社の境内に立つ由緒書きを読むと、元々洲干島にあった清水弁天、洲干弁天(この二つが別々なのか、またの名なのかは、私には?)が元禄年間(1688〜1703)に、当時元町一丁目にあった増徳院へ「分祀」され、その後、明治維新を経て神仏分離で再び独立した神社としてお社を建てられた、とか。

大きな地図で見る
もう一つは、関内は羽衣町にある横浜弁天です。こちらも、神社名は厳島神社です。ここには由緒書きがなく、いわれは分かりませんが、色々な資料を見ると、1869年に洲干島からここに環座されたようです。

大きな地図で見る
ここからは勝手な想像ですが、なぜ二つの「元」洲干弁天が存在するかというと、元町厳島神社が分祀された神社だったからではないか、と思います。その後、1859年の開港から10年を経て、現在の本町界隈の地政学的重要度が増したため、洲干島にあった元々の弁天様も、吉田新田の羽衣町に環座された、ということではないでしょうか。
さて、おおもとの洲干弁天があった場所には、その後1905年に「横浜高等第一小学校(横浜小学校)」が建てられました。これが1923年に「横浜市本町尋常高等小学校(本町小学校)」と改称されます。同じ年、関東大震災で校舎が灰燼に帰した後、本町小は名前をそのままに、現在の花咲町三丁目に移転しました(1928年に新校舎落成)。それで、花咲町にあるのに、本町小なんですね。

話はまだ続きます。現在本町小が建っている所は、1870年に高島嘉右衛門によって設立されたガス会社「日本ガス社中」があった場所です。その後、1892年に横浜市瓦斯局となり、明治から大正にかけて発売された様々な横浜案内絵地図などに登場します。その後1944年、瓦斯局は現在の東京ガス株式会社となりました。

本町小正門前にはそれらを語る碑が建てられ、ガス灯が今も点り続けています。

およそ700年ほど前から、その洲干島の先端に、風光明媚な弁天様のお社があったそうです。最盛期には境内の水路に太鼓橋がかかかり、鳥居も一の鳥居から三の鳥居くらいまであったようです。松がたくさん植えられていたといいますから、その緑と海や空の青に赤い鳥居が映え、それはいい景観だったことでしょう。その頃の様子はこちらに詳しく載っています。
明治二年になると、港に近かったこの地も整備されることになり、弁天様には他へ移っていただくことになったのだそうです。で、どちらへ行かれたかといえば、なんと、今では「元」洲干弁天を名乗る弁天様が、市内中区に二社あるんですね。
一つは元町にある元町厳島神社です。元町五丁目に鎮座します。

この神社の境内に立つ由緒書きを読むと、元々洲干島にあった清水弁天、洲干弁天(この二つが別々なのか、またの名なのかは、私には?)が元禄年間(1688〜1703)に、当時元町一丁目にあった増徳院へ「分祀」され、その後、明治維新を経て神仏分離で再び独立した神社としてお社を建てられた、とか。

大きな地図で見る
もう一つは、関内は羽衣町にある横浜弁天です。こちらも、神社名は厳島神社です。ここには由緒書きがなく、いわれは分かりませんが、色々な資料を見ると、1869年に洲干島からここに環座されたようです。

大きな地図で見る
ここからは勝手な想像ですが、なぜ二つの「元」洲干弁天が存在するかというと、元町厳島神社が分祀された神社だったからではないか、と思います。その後、1859年の開港から10年を経て、現在の本町界隈の地政学的重要度が増したため、洲干島にあった元々の弁天様も、吉田新田の羽衣町に環座された、ということではないでしょうか。
さて、おおもとの洲干弁天があった場所には、その後1905年に「横浜高等第一小学校(横浜小学校)」が建てられました。これが1923年に「横浜市本町尋常高等小学校(本町小学校)」と改称されます。同じ年、関東大震災で校舎が灰燼に帰した後、本町小は名前をそのままに、現在の花咲町三丁目に移転しました(1928年に新校舎落成)。それで、花咲町にあるのに、本町小なんですね。

話はまだ続きます。現在本町小が建っている所は、1870年に高島嘉右衛門によって設立されたガス会社「日本ガス社中」があった場所です。その後、1892年に横浜市瓦斯局となり、明治から大正にかけて発売された様々な横浜案内絵地図などに登場します。その後1944年、瓦斯局は現在の東京ガス株式会社となりました。

本町小正門前にはそれらを語る碑が建てられ、ガス灯が今も点り続けています。








